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zoom RSS 「天使と悪魔」を読んだですよ。

<<   作成日時 : 2009/07/05 23:14   >>

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気が滅入るあまり無為の生活が続いてすっかり醗酵してしまったので、その間に読んだ本の書評を連チャンで書きたいと思いま〜す。
・・・ぷ、書評だって。これ自体すでに、何様?な言葉だよね。^m^
映画では「ダヴィンチ・コード」の続編ということになっていますが、小説が発表されたのはこの「天使と悪魔」のほうが先。テレビで見た「ダヴィンチ・コード」が意外と面白かったので手にとってみたら、そこそこ読めそうな感じだし、たまにはこーゆうコンクリート打ちっぱなしみたいな文章も、頭休めになっていいかなぁと。。。(^^ゞ
実際面白かったですよ。謎解きやアクションものが好きな人にはおススメの娯楽作品。ただし改めて小説を読む必要はないと思う、映画を見ればちゃんと満腹できる。それというのも、たとえば後半のほとんどを占めるアクションまたアクションという怒涛の展開や、時間と分単位で追いかけっこを繰り広げるハラハラドキドキの緊迫感、主人公のラングドン教授が危機をくぐりぬける回数やその奇跡的なことといったら、おまえはスーパーマンかと呆れるほどで、明らかに映画化を意識しているか、でなければ映像文化の影響を色濃く受けていることがはっきりしているからです。原作であるにも関わらず、映画を見てから書いたような手法で、だから文章も「コンクリート打ちっぱなし」みたいな印象を受けたわけ。(^^ゞ
映画化する側にとっては実に有難いというか、重宝な作家だろうな。小説と映画では本来、使われる手法がかなり異なっているものなので、脚本化するにあたってはそこをどうすり合わせるかにもっとも苦労する筈なんですが、こうした小説だったら仕事の八割はすでに出来上がっている。しかも単に手間が省けるだけでなく、小説とのギャップが少ないぶん成功が約束されているんですね。この場合の成功とはいわゆる興行成績ですが。
お約束の「どんでん返し」も律儀に用意されています。どんでん返しなんて本質的にちっとも面白くない仕掛けなのに、なぜこう多用されるんだろうと、実は長いこと不思議に思っていたんですが・・・この「天使と悪魔」がこうした娯楽作品の中でもちょっと気が利いていて秀逸だからでしょうか、そうか、見透かされるのは承知の上、というより、話がある時点まで進んだら、ぜひとも見当をつけて貰う必要があるんだと気づきました。読者は作者の仕掛けを見破ったと得意になれるし、作者にしてみれば「ほら、楽しめたでしょう?」とにんまりできる、つまりギブアンドテイク、どちらも満足のうちにめでたし、めでたしとなるわけなんですな。
「どんでん返し」を文字どおりに受け取るからわからなかったので、お約束だと思えば実に簡単な話でした。(^O^)

そう考えると当代随一の頭脳が考え出し、それに匹敵する者しか解けないと謳うわりには道しるべに隠された謎が即物的で、瞠目するようなひねりがほとんどないことも頷けます。これに関しては訳者も解説で触れていることなので、私が特別ひねくれているからじゃーありません(笑)。ではどこが面白いのかと問われれば・・・うーん、ジグソーパズルのピースが次々とはまっていくトリックの妙、とでも云ったらいいかな。あらゆる符号(たくみにちりばめられた歴史的事実)があまり見事に仮説にはまるので、あたかも答えは一つしかないように、つまりガリレオ・ガリレイやベルニーニが「イルミナティ」のメンバーであり、実際会合場所の道しるべを記すためにそれらの彫刻を作ったことは疑いようがないと思わせてしまうところにあるんです。歴史の陰に秘密結社の存在を見、不審な死を遂げた歴史的人物や有名人に暗殺や謀殺の噂が絶えない理由、そうしたもの信じたがる心理を巧妙に利用している。明らかにアプローチの仕方が逆なんですね。予め答えというフィルタを通して見るよう誘導されているから、充分に筋の通る緻密な組み立てさえすれば、後は勝手に信じてくれるわけです。・・・で、この辻褄合わせの出来がなかなかにいい。(^^ゞ
これがもしフィルタなしで見るということになれば、万物の二元性や対称性、三角形、5という数字など、この小説ではイルミナティの象徴とされるものが、洋の東西や文化、宗教、年代を問わず普遍的に見られるシンボルであって、それだけにどうとでも解釈できる余地があることに、わりとあっさり気づくんじゃないでしょうか。単純で簡潔なものほど、人間の感覚に強く訴える完璧な美しさがあるため、宗教においてはそれが神の存在や摂理の正しさを証明するものと思えるし、数学者や物理学者はだからこそその探求に人生を費やすわけで、ベルニーニのような稀代の彫刻家なら感覚も人より優れていて当然、彼の彫刻にそうしたシンボルが含まれていたとしても何ら不思議はない・・・と思うんですが、いかがなものでしょう?

作者のダン・ブラウンはとにかく、時代の要求に敏感ですよね。
「ダヴィンチ・コード」をテレビで見たときも、この結末は女性ウケする(特に知的な女性の誇りをくすぐる)、流行をリードしているのは女性であることを強く意識していると感じた。ただしイエスがその生涯を通じて説いたことを考えれば、男だろうが女だろうが、身内に後事を託すことは勿論、世襲を認めただろうとは到底考えられないので、もっともらしいリアリティにちょっと欠ける感がありますが。
あとねー、「天使と悪魔」の結末は何か納得できないです。暴露したらカトリック教会が大打撃を受けることは確かだし、事実を知るのは当事者だけ・・・というパターンにしたかったのかも知れないが、作者自身作中で、「この熱狂がいつまで続くのかわからないが」みたいなことを云わせてるでしょ?そんなことのために、真実をいち早く察し、己の良心に従って行動した結果、命まで落とした二人が汚名を着せられたままでいなきゃならないとは、公正を欠くにも程があると思う。真実を暴いたのも結局、そのうちの一人なんですよ?ラングドンなんて典型的な巻き込まれ型の主人公で、ただわけもわからず危険に首を突っ込んだだけじゃないのー!!
・・・ま、映画でトム・ハンクスをキャスティングしたのは正解、とも云えますな。(^^ゞ


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