カナン・その20

 何か云わなければいけない気がするのに、どうしても言葉が見つからない。彼女の歌とシタールの掻き立てた切なさが、喉を塞いで黙らせてしまった。どんな言葉も無力で、的外れなものに感じさせたのだ。二人の間に落ちた深い沈黙を、ふいにカサコソと、何か動くような物音が破った。衝立の傍らに置いてある、筒状に編んだ籐製の籠の中からだ。その籠には蓋と小さな錠前がついていて、実を云えばアスールは、何が入っているのだろうとさっきから気になっていた。前に泊まったときは、確かなかった筈だ。振り返ったままじっと見つめる様子に、ターラはうっすらと目を細めた。
「見てみたい?・・・きっと男の子は、ああいうものが好きよ」
 シタールを傍らに置いて、彼女は答えも聞かず立ち上がった。籠の前に膝をつくと、腰帯から取り出した青銅製の小さな鍵で錠を外す。そこへ少年も近づいてきた。ゆっくり蓋を上げていく手もとを、中腰のまま興味津々で覗き込む。中でとぐろを巻いたものが、赤い舌をチロチロと閃かせ、冷たい爬虫類の目でアスールを見上げた。思わずたじろぐのをよそに、ターラが腕を差し入れる。猫目石の指輪がきらめく左手を。少年は息を呑んだ。
「危ない、咬みつかれるよ!」
「何が危ないの?」彼女は嫣然と微笑んだ。
 引き戻してみせた腕には、精緻な細工のブレスレットでもあるかのように、黄色と黒の網目模様をした小さな蛇が巻きついている。やはり舌を蠢かせているが、咬みつくような気配はまるでない。
「大抵の蛇は毒など持っていないし、さして凶暴でもないのよ。危険という点で云えば、人間を凌ぐ生きものはいないわね。皆どうして、安穏と平気な顔で暮らせるのか・・・わたしには気が知れないわ」
「でもあの、派手な色と模様をした蛇は・・・必ず毒があるって。地味なやつは見た目だけじゃ、わからないみたいだけど。裸足で野山を遊びまわってたら、母さんが教えてくれたんだ」
「ああ、母親が医者だったわね。確かにその通りよ」
 悪びれた様子もなく肩をすくめる。ターラは目に奇妙な光を浮かべ、弦を鳴らすために伸ばした爪先で、そっと蛇の喉をくすぐった。
「この子の毒はそれほど強くないの。大人なら痺れさせて、しばらくの間動けなくするだけ。・・・護身用にはそれで充分よ。後はザカリアなり護衛官なりが、適当に始末するでしょう。第一蛇は煩くないわ」
「・・・狙われた事があるの?」と、アスール。
「切り刻んだ鼠を脅しに軒へ吊るされたり、頂きもののお菓子を毒見した侍女が、後遺症で歩けなくなったくらいかしら?ああ、湯殿に蠍がいた事もあったわね。半分気休めみたいなものだけど・・・エリカみたいに護符を集めたり祈祷して貰うより、よほど現実的だと思うわよ。本当に恐れるべきは、人間の刺客だもの。もっともあなたのシギリヤは、別に何もしていないようね。・・・勇気があること。こんな命でもわたしは惜しいのに、死ぬ事が怖くないのかしら」

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